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札幌地方裁判所 昭和46年(わ)725号 判決 1972年1月17日

主文

被告人久慈庫男を懲役三年に、被告人前田孝六を懲役二年に各処する。

この裁判が確定の日から三年間被告人両名に対しいずれも右刑の執行を猶予する。

訴訟費用のうち証人坂田時人に支給した分は被告人久慈の、証人油川久栄に支給した分は被告人前田のそれぞれ単独負担とし、その余は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人久慈庫男は、全日本スキー連盟(以下単に連盟と略称)選手強化本部長(後にノルデイック特別強化部長)として連盟が行なう札幌オリンピック冬季大会選手強化合宿を主宰し、合宿費の収支、保管および精算報告等の業務を掌理していたもの、被告人前田孝六は、同選手強化本部所属のコーチとして被告人久慈を補佐し、同強化合宿における合宿費の収支、保管および経理の業務を担当していたものであるが、合宿費の支払いに関し、架空もしくは水増し支払額を計上した虚偽の精算報告書類を作成して連盟に提出するなどの方法により、右精算報告書記載の支払額と実支払額との差額を不正に領得しようと企て

第一、被告人久慈は単独で、昭和四三年一〇月二八日から同四四年一〇月一一日までの間二一回にわたり富士銀行渋谷支店の「全日本スキー連盟理事長野崎彊」名義普通預金口座から同銀行札幌支店の「全日本スキー連盟代表久慈庫男」名義普通預金口座に振替送金を受けた合計一八、七〇〇、〇〇〇円のうち、別表一記載のとおり、昭和四三年一〇月二八日から同四四年一〇月一三日までの間一二回にわたり「預金払戻」欄記載の金額の金員(その合計一二、六二〇、〇〇〇円)を払い戻し、「合宿」欄記載の各合宿の合宿費支払資金として連盟のため業務上預り保管中、昭和四三年一〇月二八日から同四四年一〇月一九日までの間北海道上川郡東川町勇駒別温泉ほか四か所において行なわれた右各合宿の合宿費として前記支払資金より支払つたのは「実支払額」欄記載の金額の金員(その合計七、二一九、一八〇円)のみであるのに、右各合宿の終了日ごろ、前後一一回にわたり、各合宿場所などにおいて、合宿費の支払額が「連盟報告支払額」欄各記載のとおりである(その合計八、一〇五、三三六円)旨虚偽の精算報告書類を連盟宛に作成送付し、もつてその差額である「横領金額」欄記載の金額の金員(その合計八八六、一五六円)を、自己の用途等にあてるためそれぞれほしいままに着服して横領し

第二、被告人両名は共謀のうえ、昭和四四年一月一〇日から同四六年七月三一日までの間四六回にわたり富士銀行渋谷支店の、前記野崎彊名義普通預金口座または「全日本スキー連盟特別会計会計理事明珍勝男」名義普通預金口座から前記久慈名義普通預金口座に振替送金を受けた合計四九、九二〇、〇〇〇円のうち、別表二記載のとおり、昭和四四年一月一〇日から同四六年七月三一日までの間四一回にわたり、「預金払戻等」欄記載の金額の金員(その合計三七、八九〇、〇〇〇円)を右預金より払い戻しあるいは連盟より現金合計一、〇五〇、〇〇〇円を受領し、いずれも「合宿」欄記載の各合宿費支払資金として連盟のため業務上預り保管中、昭和四四年一月五日から同四六年八月一一日までの間青森県南津軽郡大鰐町ほか八か所において行なわれた各合宿の合宿費として前記支払資金より支払つたのは「実支払額」欄記載の金額の金員(その合計二六、七七四、四〇四円)のみであるのに、右各合宿の終了日ごろ、前後二七回にわたり、各合宿場所などにおいて、合宿費の支払額が「連盟報告支払額」欄各記載のとおりである(その合計三三、八七一、一一九円)旨虚偽の精算報告書類を連盟宛に作成送付し、(別表二の13は差額現金を昭和四五年六月二五日に青森銀行大鰐支店を通じて札幌市北二条西二丁目所在埼玉銀行札幌支店の久慈庫男名義普通預金口座に振り込み入金し)もつてその差額である七、〇九六、七一五円のうち「横領金額」欄記載の金員(その合計六、九九六、七一五円)を、自己の用途等にあてるためそれぞれほしいままに着服して横領し

たものである。

(証拠の標目)<略>

なお、判示認定につき若干補足説明すると

一、本件の横領は被告人らにおいて判示のように各精算報告書を作成し連盟宛に送付した時期に判示の各差額につき成立したいわゆる着服横領と解すべきものである。弁護人は、右時点においては横領の対象となるべき現金はこれに先行する費消によつて存在していなかつたから着服は不能であつて、そのような形態での横領罪は成立し得ないと主張するが、証拠によれば、判示各精算報告書の作成時に先きだつて合宿費にあてるべき金員を費目外の支出に用いていたもののあることは認められるけれども、それは予算額からみれば一部であり、しかもその支出の時点では、それがはたして最終的に合宿予算から支出されることになるのか、あるいは精算の段階で他からの支出によつて補充、返済して合宿予算の消化とかかわりのない別個の支出にとどめるかのいずれになるのかは確定的ではなく、いわば一時使用ないし立替の抗弁の成立する余地のあるものであり、また、本件においては証拠上被告人らにおいてこれが可能であつたと認められ、(このことは、実行予算が完全に消化された場合には保管金員は全部正当な費目のためにのみ支出されなければならなくなることを考えても明らかである。)さらに、被告人らが預金口座から受け出して占有支配し、保管の責を負担したものは銀行から受領した特定物たる通貨そのものではなく、むしろ代替物ないし不特定物としての一定の金銭価値たる金額で把握された金員とみるべきものであることから考えると、精算前に保管金の一部を用いて特定の不正費消にあてたことがあつたとしても、前述のように精算報告書を作成して水増額等を確定し、その金銭価値を手元に留保する意思を外部的に動かせないものとしたときにその行為をもつてその金額につき成立、完成する横領行為と解するのが相当である。

二、つぎに、弁護人は、本件によつて水増し等して浮かされた金の使途は被告人久慈が本部長として主宰する判示強化合宿に必要な経費にあてられているものであつて、連盟の黙示の承認があつたものと解せられ、それらの支出は当然の行為であり、被告人らには横領罪の成立に必要ないわゆる不法領得の意思が存在しない旨主張するのであるが、証拠によれば、本件強化合宿の実行に必要な経費のうち連盟が予算として計上しその支出を認める支出項目は、旅費、宿泊費、日当、会場費、用具費等いわゆる必要経費のうちの最小限度のものに限定されており、その他にもかなり必要度の高い出費科目があると思われるにもかかわらず、そしてその一部(たとえば選手等運搬用の自動車の購入等)については被告人久慈の再三の要求にもかかわらずついに連盟において具体的理由まで示してこれを認めなかつた事情等を考え合わせると、被告人らが必要経費であることを強調してやまない右自動車関係の費用や海外遠征者に対する出費、コーチに対する手当あるいはコーチらとの会食費等は、それがかりにそのいうように選手強化につながるものであつたとしても、特定の項目への支出にのみあてるべきものとして委託された本件金員を合宿強化に不可欠であるという理由によつて他に使用することは、予算項目以外の支出を許されなかつた委託者の意思ないし委託の趣旨に明らかに反したものであつて、法律上保管の任務に背いたものと認めざるを得ないばかりでなく、さらに証拠上は本件で浮かし右費目外支出として用いられた費消の中には、選手強化に役立つ一面のあるもののあることは否定できないとしてもそれらを含めて被告人らの右費消はいずれも純粋に選手強化のためにのみなされたと認めるのは困難でありむしろ主として被告人ら個人のために用いられたものとみざるを得ないものが多いのみならず本件においては、浮かした金額がはたしていくらあつたのか、あるいはあるのか、そしてそれが専ら選手強化のためにのみ用いられたのかどうか等につき、適正な管理ないし監督がなされる客観的保証は何もなく、―本件はたまたま捜査によつて明らかになつたものである―むしろ本件金員は他から何ら規整を受けず被告人ら、主として被告人久慈の主観と独断によつていかようにでも自由に費消できるような状況に置かれていたものであり、このような状態に置くことを被告人らにおいて犯行時十分認識していたものであり、これを意図したものである以上、判示不法領得の意思の認定は避けられない。

(法律の適用)

被告人両名の判示所為はいずれも包括して刑法第二五三条、第六〇条に該当するので所定刑期範囲内において被告人久慈庫男を懲役三年に、被告人前田孝六を懲役二年に処し、刑法第二五条第一項第一号により被告人両名に対しいずれも三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により主文のようにそれぞれ負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、スポーツ界最大の祭典といわれるオリンピックが世界の注目のうちに晴れて我が国において行われることになり、その関係者と国民が「札幌オリンピックを成功させよう」との合言葉のもとにあらゆる努力を積み重ねているさ中に、こともあろうにその選手の強化合宿というお膝元の舞台において行われたいまわしい不正事件であり、スポーツにおいて常にさけばれている、「正々堂々」の精神を、本来さきがけて実行すべきほかならぬ役員である被告人らがふみにじつたものであつて、その責任が厳しく追及されなければならない事案と思われるところ、被告人久慈はその長い選手歴とすぐれた指導力等を買われて世紀のオリンピックに臨むスキー選手の強化という、重くはあるがスポーツ関係者としてはきわめて栄誉ある役目を託され、国民の期待に応えるべき立場にあつたもので、選手らと起居寝食をともにするについてはつねに身辺を清けつに保つように心懸け、身をもつて選手の範となるべきであつたのにかかわらず、強化合宿が委託事業であつてその経理につき監査等の規制が不十分であつたことや、スポーツ界特有の先輩全能思想ともいうべき風潮の強さに安易に迎合、便乗し、強化合宿実施に伴つて生ずる人間関係その他の諸問題を金や遊興飲食という次元の低い手段を用いて解決しようとする旧来の弊習ともいうべき態度を省みて疑おうとせず、相当の長期間、多数回の犯行を重ねて国税その他国民の拠出からなる貴重な資金を多額に横領し、しかもその相当部分はどう考えてもほとんど合宿の目的とは無関係な支払に当て、なかには醜悪ともいうべき費消さえしており、また、中途からは相被告人前田を犯行に引き入れ、同人を自己の手足同様に操つて犯行を継続して、立場上ほとんど反対、拒絶することもできず、いわれるまま追従せざるを得なかつた同人をして本件のような泥沼に落ち込ませる結果を招いたものであり、被告人前田は多数のコーチの中からその経理面での手腕を買われて判示業務に従事し、強化本部長の不足をあくまでも公正、清けつな感覚と方法で補佐すべきであつたのに、その能力を乱用し、事実上弱い立場にあつたことはあるにしても、被告人久慈のいわば腹心の部下となつて同被告人とともに長期間にわたり、多額の横領におよんだものであり、そして被告人両名の本件犯行があくまでも純白裡に迎えられるべきオリンピック事業に大きな汚点を残し、これに参加する選手や関係者ひいては国民に大きな不安と動揺を与えたことを思うとき、その責任はきわめて重いといわなければならない(ここで具体的な犯行事実を中心として事案を確認した裁判所として強調したいことが二つある。その一は本件が巷間あるいは報道関係者等によりオリンピック事業のアマチュアリズム等に深く根ざした矛盾の一現象のように取り沙汰されているように思われ、事実、無関係とは思われない点があるけれども、事件が本質的にこの問題にかかわつていると認めるのにはいささか躊ちよをおぼえることであり、むしろ、本件オリンピック事業の一つである選手強化合宿という舞台においてたまたまその関係役員が経理を処理するにあたつて行つた不正経理事件であつて、アマチュアリズム等の問題と必然的な関連を肯定すべき事件ではないということであり、その二は、本件をめぐつて、被告人らの功績を語り、善良な市民としての面のみを知る一部の者の慰めともいうべき言動が認められるけれども、裁判所等第三者がこれを考慮するのは格別、被告人らがこれに甘えるようなことは許されないということであり、事案の真相を最も知る筈の本人としてあくまでも厳しく自省する気持を忘れてはならないということである。)。

しかしながら、本件のような不正が長期間にわたつて繰り返されたのは連盟やさらには日体協等の経理監督が不十分であつたという事情もかかわつており、また、時代の要請と進展に感覚的ないし体制的に即応し得なかつたわが国スポーツ界の体質にも問われるべきものがあるように思われること等本件の背景や、人生なかばを越えた被告人らが本件の発覚、摘発によつて、長年の努力によつてかち得たスポーツ界における栄光ある地位や評価を失い、自ら招いたこととはいえその大きな使命達成を目前に、いわば花道半ばにして失脚の浮目を見るなど社会的制裁を受けていること、これまでの被告人らの経歴と、その残した功績にはみるべきものがあり、市民としても過ちなくすごしてきたこと、なお、被告人久慈において本件の被害額につき連盟に対し弁償のための寄託をしていること等諸般の有利な事情を考え合わせるとこの際、実刑を科するよりも、在宅のまま静かに反省させ、社会人として再起きできる機会を与える余地のある事案と認められるので、被告人両名に対し刑の執行を猶予することとした。そこで主文のとおり判決する。 (佐野昭一)

別表一、二<略>

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